スティーブ・ジョブズ

書店で見つけた空輸されてきたばかりと思われるTIMEでもう特集記事が組まれていました。表紙はかなり若い頃のスティーブです。既に歴史としてのスティーブ・ジョブズが始まったことを感じます。

上町のオッサンの日記では、2回スティーブのことを書いています。ひとつは書評、もうひとつはビデオ評です。スティーブ・ジョブズを知るにはどちらもオススメです。

共通して言えることは、その才能や業績に関係なく、とってもイヤな奴で、それでいて嫌いになりきれない人だったということがあります。もしスティーブが上司だったら、間違いなく私は逃げていたと思われます。

外資系企業で米国人上司の下で仕事をしていた経験もあり、米国流サラリーマン社会の厳しさもある程度知ってはいるものの、スティーブほど思いやりの少ない、人使いが荒い上司はアメリカでも少ないのではと思います。

でもやめてから、あの人の下で仕事をしてためになったな、目的達成のための合理的な進め方とか、自分の今の礎になっているな、と何年しても思い出す上司になっていただろうと思います。


スティーブはスーパー経営者であった以上に、比類なきクリエイターでした。経営と創造ができる革命児という観点から、私は常々スティーブ・ジョブズは20世紀~21世紀初頭のレオナルド・ダビンチだと思っていました。

Windowsユーザーになって後、OS7の頃、マックに触れたら、マックでは使っているアプリケーションに関係のない操作は表示されない、ということにかなりショックを受けました。Windowsの場合、そのアプリケーションの操作に関係ある無しに関わらず、ファイルマネージャー等の基本的なインターフェースがデスクトップやタスクトレイ、スタートメニューなどのどこかにあるのですがマックにはありません。マックの場合、そのアプリケーションを使うという目的に集中するという発想があったと思います。同じGUIであるにも関わらず、マイクロソフト(自分はビル・ゲイツも尊敬しています)とは設計の原点が異なると知りました。

新しい技術で器だけを提供するのではなく、アップルには、それを使って消費者がどう豊になるか、という発想が根源的にあると感じました。

長年アップルに憧れてはいたものの、アップル製品を買ったのは未だiPhoneだけです。でもさんざん刺激を受けてきました。自分が最初に買ったパソコン、まともに使い始めた最初のパソコン、いずれもアップル製品ではなかったのですが、それは高くて手が出なかっただけで、もし、もう少しマックが安かったら、あるいは自分がもう少しお金を持っていたら、かなり自分の人生変わっていたのは間違いないと思います。


Windows95リリース後の第1次パソコンブームの頃、自分もパソコンの販売に挑戦、子どもやファミリーに向けてパソコンを売るという狙いでしたが見事に失敗しました。

今もよく思い出すのが高倉健が「おっ、俺にもできるじゃん」と言っていたパソコンのテレビコマーシャルです。このコマーシャル、健さんは何ができるのか、ワープロなのか、表計算なのか、あるいはソリテアをやっているだけなのか、には一切触れず、パソコンの画面ではなく、パソコンを使っている健さんだけがクローズアップされていました。当時のパソコン販売は完全にハード先行で、結局その当時買われたパソコンの大半はリビングの片隅でホコリをかぶる運命を辿りました。

上手くいかなかった子供やファミリー向パソコンのマーケティングでしたが、それでも比較的よく動いたのがマック(Performa588)でした。当時、国立競技場近くにあったアップルにも積極的に協力いただいたことも大きかったです。

その後約1年ほどして出てきたのがiMacです。あの透明のカワイイデザイン、子供やファミリーユースにもぴったり、従来のパソコン店だけでなく、ミュージックショップなどでも販売されていました。もう1年早くリリースされていれば、あるいは第1次パソコンブームがもう1年早かったら、やはり自分の人生の方向は違っていたと、今でも思います。(後悔ではありません。)

でも、その憧れや悔しさを基に今のウェブ屋稼業にさせてもらっている訳で、やはりスティーブには感謝しきれない思いがあります。


もうひとつ、触れておきたいのが、アップル製品の美しさです。偉大な発明は必ず美しいものだと思います。ライト兄弟の飛行機も、スティーブンソンの蒸気機関車も、T型フォードも、初代ウォークマンも美しいです。

iPhoneとGalaxyでアップルとサムスンの間で世界中で今、訴訟が行われています。本体だけでなく、パッケージスタイルまでパクっていて、どう考えてもアップルが有利ですが、明確にアップルとサムスンでは理念が違うと感じさせるのが、ACアダプタです。iPhoneは綺麗な白ですが、Galaxyは廉価な再生プラスチックを使っていると思われる鈍い黒です。この細部までのこだわりがiPhoneを決定的に美しい携帯電話にしています。

この観点からもやはりスティーブ・ジョブズはやっぱりレオナルド・ダビンチだったと思います。ダビンチに訴訟すること自体に無理があると思います。

スティーブ・ジョブズ亡き今、既に新しいダビンチが出てきていると感じています。マーク・ザッカーバーグなんですが、皆さんはどう思われるでしょう。